『BONNIE & CLYDE』感想
『BONNIE & CLYDE』を配信視聴いたしました。
今から100年も前の物語なのに、2人は私の鬱屈を打ち抜いて、警察も観客の道徳心も追いつけない「フォードV8」に乘って、
素敵な速さで3時間を駆け抜けていった。
感想:ボニーは、私だ。
いやーっ、面白かった。
でも、なんで私は、実在した犯罪者カップルの物語に「面白かった」という感想を持ってしまったのだろう。
音楽の良さとか、ボニーとクライドが良心の呵責にあまり悩まずとっとと話を進めていくので、
犯罪ものだけどジメジメせずカラッとした爽快感があるとか、ブロードウェイミュージカルそのものが出来が良く、
それを損なわない大野先生の演出も安定していました。
でも、もっと根本的に、
私は真面目な市民(正確には町民)として暮らしていて、
ボニー・パーカーとクライド・バロウは多くの強盗を犯し、少なくとも9人の警官と4人の一般市民を殺害した社会の敵、反社会的存在だというのに、
「ボニーは、私だ。」
と思ってしまったのは何故だろう。
『CLYDE & BONNIE』から『BONNIE & CLYDE』へ
舞台版『BONNIE & CLYDE』の面白さは、
”劇場で劇場型犯罪を見る”
構図になることだと思います。
劇中、2人が何度も『BONNIE & CLYDE』か、『CLYDE & BONNIE』か、でもめていましたが、
第1幕は、2人の関係は『CLYDE & BONNIE』
大不況とキリスト教の厳格な道徳観に覆われた鬱屈した田舎町で、女優に憧れ
「ここは退屈、迎えに来て」
と夢想するボニーの前にやってきたのは、王子様どころか前科7犯の脱獄囚で、
白馬で連れて行ってもらうどころか、自分の車を盗まれかけるという最低最悪の出会い方をしたクライド。
なのに彼が、ボニーの運命の王子様となってしまう。
でもこの時点では、クライドの犯罪調書は、とっくの昔にアメリカの田舎町の警察署でシミに食われ、廃棄処分され、彼らの人生を2023年に宝塚で上演することもなかったでしょう。
彼らの名が歴史に『アル・カポネ』と並んで記載されることになったのは、『BONNIE & CLYDE』になったゆえ。
ボニーが演出家となり、クライドが主役、共犯者や被害者が脇役、警察が敵役、のシナリオを書き、新聞にポエムを投稿し、
マスメディアという舞台で自作の犯罪を上演し、一般大衆を観客としてしまったから。
ボニーの自己顕示欲、承認欲求・・・
ああ、私にとって、他人事ではない。
私も、ボニーのように、自己肯定感を自己顕示欲に操られている。
まとめ:ボニーは、私だ。
出演者ひとこと感想
彩風さんのクライド・バロウ は、当たり役になったのでは?
彼女は『ヴェネチアの紋章』のヴェネチア元首の庶子として生まれ、愛する人に貴族の称号を与えたいがためにハンガリーの王冠を求めて自滅するアルヴィーゼ役とか、
見た目は少女マンガだけど、思考は少年漫画の「目指せ!世界制覇!」のせりふをまっすぐ言える「少女ジャンプ」みたいなキャラがよく似合う。
夢白さんのボニー・パーカー、ハマっているというか、自己顕示欲と釣りあう容姿を自己のものとし、演技力に加えて歌唱力も向上、
『エリザベート』のシシィ役、孤独で奇矯な性格で、自己矛盾を美貌でぶん殴って黙らせるような花總シシィの芸を継承できるのは、彼女かもしれない。
バック・バロウの和希 そら、敬虔な嫁ブランチ(野々花 ひまり)の、神父様の説教みたいな正論を聞いているときより、
弟が脱獄して、新聞にアルカポネと並んで載っているのを見た時の『スゲーな!』の嬉しそうな言い方に、やっぱりこの兄弟は堅気とは違う独自の価値概念や行動規範を根深く身に着けてしまっているんだなあ、と思わされました。
武器庫を襲って、いい服を着て、カッコイイ車にのって、銃を構えている時、本当に楽しそうですね。