宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『赤と黒』感想 歌うまは偉大!なのに疎外感




歌うまは偉大!耳が幸せ! でも・・・


人間は恋と革命のために生れて来たのだ。


(太宰治『斜陽』)



礼真琴、最高!


歌うまは偉大!



「歌劇団」の公演にお金を払って、耳がふしあわせ…と感じることが一瞬も無かった!


耳が幸せなうえに、目も幸せ!


ジェンヌは皆美しく、有沙レナール夫人のまとう赤い薔薇柄のショールの艶やかさに見惚れ、


ミニマムだけど装飾に趣向がこらされた装置に、照明の美しいことといったら!


特にジュリアンが「神よ、私のあなたへの信仰は偽物です」と告白する時に現れる十字架の横線が、ラスト、斜めになってギロチンの刃に変わる演出にはしびれました!




本当の歌うまは、いつ聞いても慣れず、ダレず、手垢がつかず、いつも新鮮に音楽の本質をえぐりだしてくれる。



音楽の「ロック」って、今ではとてもメジャーなジャンルで、エルビス・プレスリーやビートルズはレジェンドで、ロックは「おじさんのもの」と呼ばれたりしていますが、


エルビス・プレスリーやビートルズが、最初に世に出た時、彼らの音楽を聴いた人たちは「革命だ!」と衝撃を受けたそうです。


礼真琴のロック歌唱は、ロックってもともとは反骨で、反体制で、反社会的で、革命で、


人間は恋と革命のために生れて来たのだ!ロックは革命だ!


という衝撃を与えてくれました



『ロックオペラ 赤と黒-Le Rouge et le Noir, l'Opéra Rock-』は、


中国語では


『搖滾紅黑』と訳すそうです。


搖滾”は音楽のロックのことで、


「搖」は「声を強めたり、弱めたりして口ずさむ」の意味)から、「手で上下左右に動かす」、「ゆする」という意味があり、


「滾」は「水の流れるさま」という意味があるそうです。



礼真琴の歌唱は、熱唱なのに強弱自在。


感情のゆらぎ、高まりを、


水が流れ、熱せられて沸騰し、凍り付き、最後は昇華するさまを見るように表現して私の心をゆすってくださいました。


ところで「赤と黒」ってどういう意味なの?



音楽面では、何も不満はありません。


スタンダールの『赤と黒』をモチーフにしたコンセプトアルバム『ロックオペラ 赤と黒-Le Rouge et le Noir, l'Opéra Rock-』の”コンサートツアー”としては、大成功だと思います。


「赤と黒」の「エロスとタナトス、生の情熱と死の暗黒」の対比の表現は、視覚的にばっちりなのですが、


”芝居”としては、


題名の「赤」と「黒」とは何なのか?


の演出には、少し課題を感じました。



原作における「赤と黒」とは、ジュリアンの野心の目標,軍服 (赤) 僧服 (黒) を象徴しています。



ナポレオン没落後,軍隊での栄達の道が閉ざされた時代の野心ある青年ジュリアン・ソレルが,策謀と強固な意志を武器に家庭教師,神学生,貴族の秘書を経て,その娘との結婚により社会的成功を得ようとする直前,昔の恋人レナール夫人の告発により挫折。


復讐のため彼女を狙撃するが,獄中で彼女の真情を知り,死刑前の数ヵ月を平安と幸福のうちに過す。


理知と情熱の両面をもつエゴチスト (自意識家) の複雑な性格の分析と王政復古期のフランス社会の鋭い批判によって,フランス近代小説の最初の傑作とされる。


題名は当時の野心の目標,軍服 (赤) と僧服 (黒) を表わす。



たぶんフランスでの『ロックオペラ 赤と黒-Le Rouge et le Noir, l'Opéra Rock-』の上演は、ほとんど芝居要素を入れずに、コンサートとして上演しているのでしょう。


ミュージカルを見に来るフランス人にとっては、古典文学「赤と黒」のストーリーやキャラは、「忠臣蔵」「三国志」並みに皆が知っている一般常識なのだと思いますので、それでいいのでしょう。


でも日本で上演するにあたっては、さすがに「赤と黒」のストーリーは皆様ご存じ、とはいかないので、歌と歌の間に芝居を入れて繋いでいます。


でも、この芝居シーンに、おそらく時間的制限から「フランスの心理小説の、複雑な性格の分析と社会への鋭い批判」要素はほとんどなくて、


「小学生向け マンガでわかる「赤と黒」」みたいにシンプルなセリフのやりとりになっている。


歌唱を聴かせることがメインで、芝居は従。


田舎の大工の息子ジュリアン・ソレルの、立身の夢、偽善、心理的駆引きといった要素は、舞台それだけを見てもよくわからない。


ナンバーをフルコーラスで聴いても、その心情にいたるまでの心理の綾が、芝居シーンであまり描かれていないので、


お互いがお互いの言うことをあまり聞いておらず、それぞれの心情をあけすけに歌われているようで、


客としては


「ああ、そうですか。よくわかりました。それで?」


ちょっと物語とキャラの心情に感情移入しづらいのです。


小さな小屋で、生の歌唱の迫力に浸ることができたら、本当に素晴らしい音楽体験に満足できるのに!


ああ、こんなに、映画館から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにワープしたいと思った舞台はありません!