宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

『G.O.A.T』月ノ塚音楽学校オンライン受講の感想


『G.O.A.T』月ノ塚音楽学校の月城先生の授業を、オンライン受講いたしました。



月城かなとは、トップ時代に世の中を斜めから見ていたり、ひねくれていたり、堅物キャラだったりを演じる事が多かったので、


”いかにも”なカタコト日本語の外国人教師役のコメディを、のびのび演じているのを見られて嬉しかったです。


軽く演じているようで、間の取り方など、M-1グランプリばりに緻密に計算されていて唸りました。



宝塚の通常のショーでは、曲の1番を歌ったら捌けて、下級生が繋ぎで別の曲を歌っている間に早着替えして出てきて次のシーンに移って、という構成が多いですが


『G.O.A.T』は、1曲1曲を長く取って下級生に見せ場を作り、月城らによるアコースティックコーナーなど、歌とダンスの「芸」をたっぷりみせる作りで見ごたえがありました。


宝塚で「ミュージカルスター」といえば、望海風斗や礼真琴だと思いますが、月城かなとは「歌役者」として立派なものだと思います。


望海や礼は「直木賞作家」系の歌唱で、楽曲の音程やリズムが難しい歌を歌う時に真価を発揮し、


月城は「芥川賞作家」系の歌唱で、歌詞の文学性が高い曲を歌う時に真価を発揮する。




「キッチュ!」を歌うのを聞くと、東宝版寄りの、エリザベートが悲劇の皇妃というより、市民が貧困にあえぐのをよそにミルク風呂にはいって美女の写真とにらめっこしている「やな女」っぷりにムカついてしょうがない(笑)


スピッツの「空も飛べるはず」。この曲は発表当時、TVドラマの主題歌として大ヒットした有名な曲で、カラオケでも「歌いやすい」曲ですが、この「歌詞」を聞き手に届けるのは実はとても難しいと思うのです。


幼い微熱を下げられないまま  神様の影を恐れて

隠したナイフが似合わない僕を  おどけた歌でなぐさめた


サナトリウム、白衣、看護師、老人...

スピッツ / 空も飛べるはず


しょっぱなから「幼い微熱」に「神様の影」ですよ。


私はこの曲がリアルタイムでヒットしていた時から知っていますが、30年経ってもまだ意味がわかりません。


「子どもが熱を出したので、会社を早引けしまーす」というニュアンスの「微熱」ではないっぽいですよ。


もしも入試で「この歌詞は何を意味しているのか答えよ」と問われたら、開成中学の受験生でもちょっと困るのではないでしょうか。東大の受験生なら簡単なのか?


管理人は月城かなとが歌う「空も飛べるはず」を聴いて、「性」と「死」に目覚めだした時の、羞恥心や親への後ろめたさといった思春期の疼きを思い出しました。


宝塚で、聞き手にこれだけ「歌詞の解釈」について考えさせる歌い手も少ないのではないでしょうか。


「銀の龍の背に乗って」では、あの隆起して蒼ざめた能登の海岸が、痛んでいる人のもとへ向かうヘッドライト・テールライトが見える。



銀の龍の背に乗って



宝塚のコンサートを見ていて、林修先生の国語の授業を受けているような「なるほど」がある歌唱に感嘆いたしました。