観劇感想『ベルサイユのばら』 フェルゼン編
『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-をバスツアーを利用して観劇してまいりました。
いやーっ、よかった。
舞台をぎゅうぎゅうに埋め尽くすドレス&軍服祭り!
新調したお衣装の、生地の張り!
シルエットのピーンとした軍服!
三井住友VISAカード様、ありがとう!
歌舞伎といえば忠臣蔵、宝塚はべるばら、オペラはアイーダ!
ロイヤルのスキャンダルは、大衆演劇的には大正義なのよ!
バスツアーの他のお客さんたちの反応も、最近の某大劇場作品の10倍はウケがよかった!
正直、昨年来宝塚界隈でいろいろあって、自分の宝塚熱も冷め気味なところがあったんですよ。
今回「ベルばら」という、宝塚歌劇団でも再演を繰り返し手垢のついた演目が、
自分が初めて宝塚歌劇を見た時に全身の神経を駆け巡った、久しく忘れていた感覚を再体験させてくれた「宝塚ルネサンス」演目になるとは!
・・・
紅子:・・・
ごちゃごちゃ言ってるけど、アンタ結局本音は
あがたー!!
わたしをだ
管理人:死にたくなければ黙って聞け!
「ベルサイユのばら」というコンテンツの生命力ってすごいよね。
この50年、宝塚歌劇でもミュージカルでも「フランス革命もの」はいくつも出てきたけれど、「ベルサイユのばら」というコンテンツを”オワコン”にはできなかった。
紅子:令和の世から見れば、初演の演出を担当した長谷川一夫(歌舞伎の女形でチャンバラ映画スター)由来の演技スタイルやセリフ回しなど、「歌舞伎か!」な古臭さは否めない点はあるよね。
管理人:まあね。でも最近は歌舞伎やチャンバラ時代劇を「古いもの」として知らない世代も増えて、
「昭和レトロ」的というか、「古くさー」から3週回って目新しい「タカラヅカ・レトロ」スタイルとして見られるようになったかもしれない。
今回の上演でいいなと思ったのは、作品の冒頭で「マリーとフェルゼンとオスカルの、オペラ座の仮面舞踏会での運命の出会い」の場面をきちんと入れたところですね。
個人的に、「ベルサイユのばら」という作品のアイデンティティを構築する要素を、重要度順に並べると
1オスカル:男装の王妃付き近衛隊隊長(後に衛兵隊隊長)
2マリーアントワネット:フランス王妃
3アンドレ:オスカルの乳母の孫で、オスカルの幼馴染
4フェルゼン:スウェーデン貴族。王妃の愛人。
になると思うの。
紅子:まあ、「1789」とか東宝ミュージカル「マリー・アントワネット」って「ベルサイユのばらのオスカル抜き」みたいな話だよね。
管理人:「ベルサイユのばら」の根幹は、「オスカルとマリーアントワネット編」
オスカルという元王妃付き近衛隊隊長の女性が、
王妃と同じフェルゼンという男性を愛し、
王妃への忠誠と、革命思想への共感に引き裂かれ、
バスティーユ(王政の象徴)への攻撃命令に至る心境の変化がキモ。
でもここは宝塚歌劇団で、オスカルとマリーアントワネットという「女性二人」をタイトルロールにはできない。
ゆえに初演以降、ほぼすべての上演が
「フェルゼン(とマリーアントワネット)編」
「オスカル(とアンドレ)編」
に分離したのだけれど、
フェルゼン編ではオスカルの「王妃様と同じ男性を愛している」タブーがうまく伝わっていない。そもそもフェルゼンを主役にする時点で無理がある。
「オスカル(とアンドレ)編」では、マリーアントワネットが舞台に出てこないから、オスカルが王妃を裏切ることになる苦悩がいまいち伝わらない。
今回の雪組『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-では、オスカルのフェルゼンへの想い、オスカルとアンドレの死を知ったフェルゼンの想いについての描写が補われていてよかったと思います。
そして、最近の宝塚の諸作品に登場するようになった、ロベスピエールに象徴される「革命の暗黒面」への視線もある。
脚本・演出の植田紳爾先生が、御年90を超えて、作品を改変(改悪)の一途から「時代に合わせた調整」に舵を切った柔軟性は凄いと思いますわ。
紅子:舞台一面、ピンク、ピンク、ピンク。
薔薇、バラ、ばら🌹🌹🌹
管理人:並みの演出家なら、躊躇してもっとスタイリッシュに抑えたくなる欲望を振り切ったピンク&薔薇祭り。
私は、気に入った!
