謝先生、事件が現場で起きていません!眩耀の谷配信感想
※がっつりネタバレしておりますので、
スペースを空けております。
あらすじ
美しい亜里の地に、数々の戦の手柄を持ち麻蘭征伐の勇者と称えられる管武将軍と共に、新しく大夫となった丹礼真(タンレイシン)が赴く。
志し熱く理想にもえる礼真は、敬愛する将軍から汶族の聖地と呼ばれる“眩耀の谷”の探索を命じられる。汶族の残党(麻蘭の手下)が潜んでいるというのが名目上だが、周国王宣王は、谷にある黄金が目的。
そんなこととは露知らず礼真は、ある日神の使いの幻を追ううちに、一人の汶族の男と遭遇し、眩耀の谷を見つけることができる。
しかしそこで出会った汶族の舞姫・瞳花(トウカ)とその男により、礼真の運命は思いもかけぬ方向に流されていく。母国を信じる礼真に待ち受ける試練とは、そして希望とは…。
惜しい点:事件が舞台裏で起きている
謝先生は根っこは振付家、ショー作家なのではないでしょうか。
まずダンスのシーン設定を考え、それに合う芝居を作る。
このお話、設定はあるんだけど、事件は舞台の裏でおきているのです。
ウエクミ先生みたいな、くどくど語らずとも、人物の関係性を浮かび上がらせる場面設定の妙や
対立する2人の、華麗なる口喧嘩のセリフの妙味が惜しいように感じました。
たとえば、
周国の武人丹礼真(タンレイシン・礼)は、派兵先で汶族の舞姫・瞳花(トウカ・舞空)と出会う。実は瞳花は過去に丹礼真の上司である管武将軍(愛)に捕らえられ、妾となり子をなしていたが、隙を見て逃げてきた。
置いてきたわが子に会いたいと願う瞳花。だが、管武将軍は讒言により「異民族との間に成した子を殺せ」と命令されていた。
好きになった女性が、尊敬する上司の愛人で、子供までいて、その子は殺されかかっていて、
ウエクミ先生だったら、ものすごい昼ドラちっくなドロドロを、がっつり書き込みそうな設定なのですが、
謝先生、瞳花と管武将軍の関係(少なくとも管武将軍側には瞳花への愛があったらしい)も、
管武将軍の「我が子を殺し、愛した女の国を亡ぼせ」と命じられた苦悩も、
説明セリフのみで、客の目の前で演じてみせてくれないのです。
それは「その場面を愛月にがっつり芝居させると、礼や瀬央との出番の比重が崩れる」「観客に想像の余白を残す」という意図なのかもしれないのですが、
客としては目の前に役者がいるのだから、説明セリフだけでなくて、ドラマチックな「場」を見てハラハラしたいですよう。
ソーシャルディスタンスの中、お客の前に出てきているんですよぅ
丹礼真くんも、瞳花から「我が子に会いたい」と言われて、故郷の父に「管武将軍の子供の行方を捜してください」と手紙を書いていますが、
謝先生、ちょっと主人公が受け身の苦悩すぎません?
考えさせられた点
ラストシーン、丹礼真くんが、
国家(土地)に縛られず、民族のプライドと技術を受け継いで、どんな大地でも生きて行く覚悟を示すところに、ちょっと考えさせられました。
日本の、特に地方部に住んでいると、今でも先祖伝来の土地意識に縛られて生きていて、
日本という国は昔からあるし、これからもあるだろう、というところを疑ったことは無いのですが、大陸では感覚が違うんだろうなあ。
謝先生の、華僑という自身のルーツへの誇りを感じました。