宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

望海風斗×浅田真央 伝説のソチフリーを振り返る

暑い・・・


なんでうどん県の最高気温が39℃で、那覇が33℃なの・・・


沖縄に涼みに行きたい・・・


と思っている地方民です。皆様お元気でしょうか。

やっとSWITCHインタビューを拝見できました。


ああ、心に涼やかな風が吹きぬける・・・


舞台演劇とアイスショー、ジャンルは違えど「真ん中に立つ者の栄光と孤独」を知る者同士、互いへの敬意と発見に溢れた対談で、とても興味深かったです。


個人的な一番のツボは、


真央さん:「わたしフィギュアスケートの細かいルールがよくわからないんですよ。あっ、だから、解説が出来ないのかな?」


へっ?


ご謙遜を・・・いやそこ謙遜するところかな・・・マジ?


あのソチのフリーの衝撃

うーん・・・真央さん現役中、リカバリのきかないショートで「ショートでトリプルアクセルを2回」にこだわっていたなあ。


個人的にはソチオリンピックの時も、「ショートは最終滑走G入り最優先で、安全策で行ってフリーで挽回で・・・」みたいな戦略なら、銅メダルは取れたかも、とか思ったりするのですが、


細かいルールの中で柔軟に、戦略的に勝ちに行く、というより、常に自分にできる最高難度のプログラムの達成を目指す姿勢を崩さなかったなあ・・・


そんな真央さんゆえに成し遂げた伝説のソチフリー「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番第1楽章」だったのかなあ。



ピアノ協奏曲 第2番 第1楽章(ラフマニノフ) ピアノ演奏:須藤千晴【極上のピアノ ALL THE BEST/極上のピアノ2018春夏号 より】


残酷にもオリンピックという大舞台の、ショートの3分間で、もうメダルの可能性はついえていた。


それでも立つフリーの舞台。


あのフリーを見た時、TVのこちら側で、黙って、口をあけて、感嘆して眺めていただけの私も、


フィギュアスケート、というか「踊り」というものが持つ、根源的な喜びに触れていたのかもしれない。


「人間の肉体とは、本来、こんなにも自由だったのか」


オリンピックに出場するような選手は、ずっと、試合のたびにメダルや、ランキングポイントや、次の出場枠をかけて滑っている。


そのプレッシャーが、試合ではどうしても表現の純粋な喜びを妨げる。


奇しくもオリンピックでそのタガが外れてしまって、


これまで真央さんの肉体に、試合で得点を得るために叩き込んだ「技術」は、


純粋な生命のよろこびが、肉体を飛び出して自由を表現するための翼のようなものになったのではなかろうか。


あのソチのフリーは、例えるならエリザベートの冒頭、


「鳥のように自由に空を駆け 永遠の青の天空を行けるなら わたしは喜びのうちにほめたたえよう 自由という名の神を」


シシィが憧れた、青の天空を行く美しい鳥を見るような感覚だったのを思い出しました。