宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

壮麗帝 感想①SAPAと壮麗帝は”ボーダーを超える”物語

SAPAと壮麗帝。


かたや「宝塚らしくない」と言われ、
かたや「これこれ、これぞ宝塚!」と言われ。


でもこの2つの作品、奇しくも同じテーマの裏表、という気がする。

公式あらすじ


オスマン帝国を最盛期に導き、壮麗帝と称された皇帝スレイマンの生涯を、寵姫ヒュッレムとの愛や、義弟にあたる大宰相イブラヒムとの絆を通してドラマティックに描き上げる歴史ロマン


16世紀初頭のオスマン帝国。9代皇帝セリム一世の息子スレイマンは、腹心の友イブラヒムを伴い密かに出掛けた街で、一人の娘と出会う。他国の村で攫われ、奴隷として売られてきた娘、アレクサンドラであった。

皇帝崩御の報が入り、スレイマンはオスマン帝国の第10代皇帝となる。


アレクサンドラを皇帝のハレムに迎えたスレイマンは、美しいだけでなく才気あふれる彼女に惹かれていき、新たにヒュッレムという名を授ける。


即位後数年で、祖先が攻めあぐねていた敵地を攻略するなど、皇帝として目覚ましい活躍を見せる一方で、ハレムの慣習に背いてヒュッレムただ一人を寵愛し、奴隷上がりのイブラヒムを重用するスレイマン。


それぞれの存在が、様々な思惑渦巻く宮廷に争いの火種を生み、固い絆で結ばれたスレイマンとイブラヒムの関係にも亀裂を生んでいく……。   

史実の壮麗帝

46年の長期にわたる在位の中で13回もの対外遠征を行い、数多くの軍事的成功を収めてオスマン帝国を最盛期に導いた。


英語では「壮麗帝(the Magnificent)」のあだ名で呼ばれ、日本ではしばしばスレイマン大帝と称される。


トルコでは法典を編纂し帝国の制度を整備したことから「立法帝」のあだ名で知られている。 Wikiより

壮麗帝は、日本史でいう織田信長的な人物なんだろうな、と思うんです。


それまで群雄割拠して争いごとが絶えず、領地ごとに度量衡も法律も違い、関所だらけ、税だらけで流通も滞っていたものを、


広い領地を統一することで、領地内の平和は担保され、度量衡、法律、税制も統一され、不要な関所も無くなり、流通、商業は活性化し、社会に富が増え、余裕ができて文化も栄える。

なぜ戦うの?

バラバラだから争うんだ。一つにしてしまえば、争いは無くなる。

争いを無くすために戦うんだ。

ある意味、SAPAで総統01が言っていたことに繋がっていません?


信長の天下統一は、今の本州、四国、九州を制覇すれば、ほぼ完成するけれど、


広大なユーラシアとなると、天下って果てしなく広い。


スレイマンはどこまで行けばいいのだろう。


イブラヒムの焦り

大帝国の10代目、スレイマン。
奴隷として売られてきた娘、アレクサンドラ(ヒュッレム)
奴隷上がりのイブラヒム


どちらも大帝国の覇権に守られない辺境のいざこざで奴隷となり、奇しくもオスマン皇帝の権威の下で才能を見出され、異例の出世をとげる。


作・演出の樫畑 亜依子さんは


イブラヒムは帝国の境界を拡張することでの平和を望み、故郷ヨーロッパになかなか進軍しないスレイマンにいら立ち、秘密裏に対外工作を進めて自滅する。


アレクサンドラは内部(家庭・家族)の平和・やすらぎを求め、争いに疲れたスレイマンを包み込む


という構造のお話にしたかったのかなあ。


歴史ドラマ?おとぎ話?

実在の人物を使って、史実とはだいぶ違う話になっている気はする。


これは歴史=ヒストリーのドラマではなく、オリエンタル・テイル=東洋の(事実・伝説・架空の)お話 と銘打たれていますが。


個人的には、かなり強烈な個性の持ち主だった史実の人物を使って、オリジナルな設定のキレイなお話にしているのが、ちょっと引っかかったのだけれど。


宝塚らしさとは?

娘役にぞーきんみたいな服を着せたり、「お前の喉元を噛みちぎってやりたかった!」と叫ばせる上田先生。


史実では、トルコ版西太后のような女性であるヒュッレムを、女神的な女性として描いた樫畑先生。


1週間の間に、宙組の外箱で、2人の座付き女性作家が宝塚で紡いだ対照的な夢を拝見して、


うーん、むつかしいなあ。


シェイクスピアのマクベスより


きれいはきたない きたないはきれい


という言葉がふっと浮かんだので、とりあえず今回はここまで。


気が向いたら後日、登場人物編をUPしまーす。