宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

感想『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』


人はなぜ同人を書くのか?それは作品への愛を叫ぶためだ。



雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』を配信で視聴しました。


-Boiled Doyle on the Toil Trail-


このタイトルの意味をAIに尋ねると


「疲れ果てたドイルが大変な努力を経て何かを達成した」


だそうです。



いやーっ、生田先生は、「シャーロック・ホームズ」シリーズの登場人物も、原作者コナン・ドイルも、ドイルを取り巻く人々も、本当に大好きなんだなあ。


人はなぜ同人を書くのか?


それは、作品への愛を叫ぶためだ。


生田先生は、宝塚の座付き作家として、自分のホームズ&コナンドイルへの愛に満ちた同人作品を大劇場で発表出来て、オタク冥利&作家冥利に尽きるんだろうなあ。



生田 大和による、宝塚ホームズシリーズに共通するテーマは、ホームズファンにとって今も最大の謎である


「『最後の事件』でモリアーティ教授と一緒に滝つぼに落ちたはずのホームズは、なぜ「実は生きていた」設定になったのか?」


についてのアンサーです。



第1弾、宙組版『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』は、「キャラ愛」の同人。


ホームズ、最大のライバルモリアーティ、ホームズが「あの女」と呼ぶアイリーン・アドラー、原作では実現しなかった夢の共演を実現させました。



第2弾、『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』は、『ボヘミアの醜聞』の大ヒットから、『最後の事件』でホームズを”殺した”のち、『空き家の冒険』で彼を”復活”させるに至る経緯の裏には、ドイルと最初の妻であるルイーザとの絆があった、というお話です。


ドイルには最初の妻ルイーザと、2番目の妻ジーンがいたのですが、ドイルの伝記などでは最初の妻ルイーザがどのような人物だったのか、あまり言及されていません。


ルイーザが若いころから闘病していたこともあるのですが...




『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』で描かれている時代のドイルの年譜


1885年(26歳)
ルイーズ・ホーキンズと結婚。


経営する医院が暇すぎて、患者を待つ間に小説執筆にいそしむ。


1891年(32歳)
「ストランド・マガジン」誌にてホームズシリーズの短編掲載を開始し、大人気となる。


1893年(34歳)
幼い頃家を出ていった父チャールズが、長く入院していた精神病院で死去。
妻ルイーズが結核と診断され、長い療養生活に入る。


同年、『最後の事件』でホームズをライヘンバッハの滝から突き落とし、ファンが「ホームズを殺すなんて許さない」と大騒ぎになる。


念願だった歴史小説の執筆に専念するも、作品は世間で評価されず、ファンは「ホームズを生き返らせろ」と熱望する。



1897年(38歳)
ジーン・エリザベス・レッキーと出会い、相愛の仲となる。


1903年(44歳)
『空き家の冒険』にて、死んだことになっていたホームズが復活する。


1906年(47歳)
妻ルイーズ死去。


1907年(48歳)
ジーン・エリザベス・レッキーと再婚する。




...この経緯、ねえ。最初の妻ルイーザに関する史料は他の身内に比べて乏しいそうですが、いろいろ事情がありそうですね。


時代を超えて愛される作家、コナン・ドイル。時代の彼方に時間を止めて「ドイルの最初の妻」としか語られないルイーズを、ドイルの死以降、こんなに愛した人っていたのかしら。


『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』は、「ドイル&ルイーザコンビ萌え」の同人として、愛に溢れた物語でした。


女優・寺島しのぶが歌舞伎に挑戦!...正直感想『文七元結物語』




歌舞伎座で女優・寺島しのぶが、普段女性の役は女形が演じる歌舞伎座で、”女性役”を演じたことで話題になった『文七元結物語』を配信で視聴しました。


相手役はTVでおなじみ中村獅童、寺島しのぶ以外の女性の役は歌舞伎役者たちが演じています。


今回の舞台は、映画監督山田洋次氏が新たな構想により脚本・演出を一新して上演したことも話題になりました。




歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」『文七元結物語』告知映像


左官長兵衛:中村獅童

長兵衛女房お兼:寺島しのぶ

近江屋手代文七:坂東新悟

長兵衛娘お久:中村玉太郎

角海老女将お駒:片岡孝太郎

近江屋卯兵衛:坂東彌十郎



落語。以前からあった噺(はなし)に三遊亭円朝(えんちょう)が手を入れて完成した人情噺。


左官長兵衛は腕はよいが博打(ばくち)に凝り、家のなかは火の車であった。


孝行娘のお久が吉原の佐野槌(さのづち)へ行き、身売りして親を救いたいという。


佐野槌では感心して長兵衛を呼び、いろいろ意見をしてお久を担保に50両貸す。


改心した長兵衛が帰りに吾妻(あづま)橋までくると、若い男が身投げしようとしているので事情を聞くと、この男はべっこう問屋の奉公人で文七といい、50両を集金の帰りになくしたという。


長兵衛は同情して借りてきた50両を文七にやってしまう...

中村獅童演じる左官長兵衛は、博打に嵌って借金取りに追い立てられ、日々の飯代も家賃も払えず、火が燃え盛る車をアチチチチ!と大騒ぎしながら暴走している人。


女房にDVし、娘に身売りさせてしまうどうしようもない奴なのですが、


獅童の役作りが、こういわれたらこう返すだろうと予測する答えを60度くらいずらしてくる、すっとぼけたおバカキャラに徹していて、憎めない奴でした。



女房お兼:「娘が、どこ探してもいないんだよ!」


長兵衛:「いないところばかり探しているから、見つからねえんだよ!いるとこ探しゃあ見つかるって!」


そやな。



このお芝居のキモは、娘が親を助けるため、吉原に身売りしてまで作ったお金を、自殺しようとしているとはいえ赤の他人に「ほらよっ」投げつけるにいたる心理の綾だと思います。


獅童長兵衛は「娘の将来と、目の前の自殺志願者を天秤にかける」ことへの逡巡・葛藤をあまりかんじさせず、


「目の前に自殺しそうな奴がいたら、まず助けるのが当たり前だろべらぼうめ!後のことは後で考えらあ!」


と勢いで突っ走っている感があり、これはこれで、お話がじめじめしなくてよかったと思います。


ラストでは、50両は無事戻ってきたのですが「江戸っ子はなあ、一度渡した金は受け取れねえよ!」と意地を張る。これが江戸っ子の心意気、なのかなあ。




歌舞伎座の舞台での寺島しのぶの第一印象は、「かわいい声」でした。


寺島しのぶが名女優であることは、皆様ご存じのとおりですし、今回も、故樹木希林と、そのご主人との不思議な関係を思わせるような、夫婦の縁を的確に演じておられました。


普段TVで拝見する女優・寺島しのぶは、信念を持った芯の強い女性を演じることが多く、特に「声がかわいい」と思ったことはないのです。


長兵衛の娘お久(中村玉太郎)、お久が「私を買ってください」と談判しに行く吉原の置屋の女将・お駒(片岡孝太郎)ら女性の役を演じるのは、当然ながら成人男性であり、女方特有の甲高い声を作っています。


男性ですから、当然骨格も大きく、声帯も長い。


チェロの共鳴胴で、バイオリンの音域を出すような、独特の声をしていらっしゃいます。


寺島しのぶは、やっぱり女性なので、バイオリンの共鳴胴で、バイオリンの音域を出しているようなものです。


舞台の醍醐味は、日常生活ではなかなかお目にかからない、ものすごい美人とか、スタイルが超絶いい人とか、常人のカラオケでは歌えない歌が聴けるとか、超絶技巧のダンスが見られるとか、


「普段見られない、聴けない」


ものに触れられることだと思います。


歌舞伎の舞台の「非日常」を形成する道具立ての大事な要素に


「普段社会で生活しているとなかなか聞けない、”のどぼとけがある女”の声」


があり、これは女性である寺島しのぶの生身の肉体では出せない声なのでしょう。

永久輝せあ プレお披露目『激情』の正直な感想




花組 全国ツアー 刈谷市総合文化センター アイリス公演『激情』『GRAND MIRAGE!』のライブ配信を視聴しました。




メリメ原作「カルメン」をモチーフに描かれた『激情』。スペインを舞台に、軍の下士官ドン・ホセが、自由奔放に生きるカルメンに魅了され、彼女への愛ゆえに堕ちて行く様を描いた本作は、1999年宙組での初演が絶賛を博し、第54回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞を受賞致しました。


もしもシシィがスペインのジプシーに生まれていたら


『カルメン』といえば、メリメ原作の小説「カルメン」を基にしたしたオペラ版が有名ですが、宝塚版の『激情』の脚本は、原作小説とオペラ版の折衷です。


原作もオペラ版も、実直な軍人ホセが魔性の女カルメンの魅力に溺れ、堕ちていくという大筋は同じですが、


原作では、作者メリメ(凪七)が、山賊になったホセにインタビューする形を取っており、カルメンには既に夫ガルシア(凪七)がいます。


オペラ版では凪七さんが演じる役の出番はありません。


ホセの地元にいる恋人ミカエラ(咲乃)や、闘牛士エスカミリオ(綺城)は、原作での出番はわずかですが、オペラ版では大幅に出番が増えています。



オペラ版は、


束縛したがりでぐじぐじねちっこい男ホセ VS 男性的で華やかな闘牛士エスカミリオ


奔放なジプシーのカルメン VS キリスト教の価値観を体現する敬虔なミカエラ


4者のキャラの対比が鮮やかになっており、フラメンコに闘牛と、異国の色彩を感じるビゼーの音楽が素晴らしい。





新国立劇場オペラ「カルメン」ダイジェスト映像






フランスの作家メリメの中編小説。1845年刊。


衛兵伍長(ごちょう)ドン・ホセは、セビーリャの煙草(たばこ)工場の女工カルメンの魅力のとりことなり、彼女の手引きで密輸業者の群れに身を投ずる。


彼女の情夫と渡り合って相手を殺すはめにまで落ちたものの、奔放なトルソ人カルメンは、まもなく闘牛士ルカスに心を移す。


アメリカで新生活を始めようと迫るホセに手ひどい拒絶を投げつけた彼女は、予期していたかのようにホセの刃(やいば)にかかって死ぬ。


オペラ版「カルメン」は、「生真面目な男ドン・ホセが、自由奔放に生きるカルメンに魅了され、彼女への愛ゆえに堕ちて行くお話」という「よくできたお話」です。


宝塚版「激情」は、物語に作家プロスペル・メリメによる語りという枠をつくり、カルメンの夫ガルシア を登場させたことで、


観客に登場人物の行動に対して「自由とは何か」を考えさせる効果を生んでいると思います。


この効果により、物語は


「歌舞伎町のキャバクラで、ストーカー化した客がホステスを刺した事件」


から


セビリア版「エリザベート」


「もしもシシィがバイエルン王国の公爵家ではなく、


”自由に生きたい ジプシーのように♪”


の願いをかなえて、スペインのジプシーの一族に生まれたら」



に変わったように思います。




自由とは、何か。


辞書によると、


消極的には「…からの自由」


他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、



積極的には「…への自由」


自分が決めたルールに従って意志を決定する、自主的、主体的に自己自身の本性に従うことを言うそうです。


シシィは宮廷のルールから、姑から、夫から、息子からも逃れた放浪の果てに、暗殺された。


「…からの自由」は手に入れたが、「…への自由」を手にしたのかどうか。


カルメンは「ホセからの自由」を得るために、大空を飛ぶ自由な小鳥のように逃げることもせず、むしろカード占いの予言のとおり、ホセの刃を「受け入れた」。


物語の幕切れは、新聞報道になれば「悲惨な殺人事件」なのでしょうが、カルメンの最期は、なびくことなく、死によって自分の人生の「…への自由」を完遂したようなカタルシスがある。


シシィがカルメンで、ホセはフランツでもあり、トート閣下でもある。


まとめ:『激情』は『裏エリザベート』として見ると、『真エリザベート』より主演コンビに似合っていた。

遺族側が公開されたSNSを拝見して愕然としたこと





雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』『FROZEN HOLIDAY(フローズン・ホリデイ)』初日舞台映像(ロング)



自死されたジェンヌさんの遺族側が公開した、SNSを拝見しました。


特に驚いたのは、彼女が演出家と交わしていた、新人公演のフォーメーションや出入りのタイミング、早変わりの段取りまでに及ぶ膨大なやり取りについての記録です。


劇団の経営陣は、このように複雑な段取りを、入団7年目とはいえ芸の修行途上で、自身も出演者であるジェンヌと、見習いの演出補に責任を投げて、宝塚大劇場の初日から2週間ほどで「お客様からお金をいただける」レベルにすることを求められていたのですね…


今から50年前に書かれた柴田作品のような、全ツ会場でも十分上演可能に書かれている舞台ならいざ知らず、昨今のセリや盆がダイナミックに動く舞台の出入りの段取りを整え、本公演と出演者がすべて変わっている芝居も歌もダンスも完璧に…


いや、劇団四季や東宝のミュージカルに出演するプロの俳優でも、これをプレーヤー兼監督としてこなすことを求められると、相当な負荷がかかるでしょう。


(そもそも、脚本の執筆能力と、舞台上で演出をつける能力は別のものでしょう『PAGAD(パガド)』の作/演出の田渕 大輔氏は、大きな舞台上での登場人物のさばき方がさほどスムーズではない印象です。)


運営陣は宝塚のスターシステムにとって大変重要な新人公演を「本公演の合間にやらせていただく、あくまで正規の公演ではない、勉強の成果の発表会です」という位置づけにしていて、一方ではリアルタイム配信の目玉「商品」でもある。


こんな大事な公演を、本公演の舞台や本公演のためのお稽古が終わった後に、サービス残業で準備するのではなく、きちんと「本公演の役代わり公演」と位置付けて、準備の体制を整えねばならないと思います。舞台演出専業の演出家がいてもよいのではないでしょうか。

公演が再開していたら組替えは実行されたのか?





組替えを発表している以下の生徒につきまして、組替えの中止をお知らせいたします。  

 

月組

きよら 羽龍・・・2024年2月1日付で宙組へ組替え

※宙組東京宝塚劇場公演中止にともない、組替えを中止いたします。   


宙組

天彩 峰里・・・2023年12月25日付で月組へ組替え

※宙組東京宝塚劇場公演中止にともない、組替えを中止いたします。


組替え中止の理由は、まあ、なんとなく察しております。


宙組東京宝塚劇場公演が中止になったから、生徒の組替えが中止になるという理屈を持ち出されると、公演が再開していたら組替えは実行されたのか?といういらぬ憶測を呼ぶ気がするのですが…


もしも、あの事件が無かったなら...


もしも、この組替えが半年前に実施されていたら…


天彩峰里が月組でトップ娘役になるというもう一つの世界線があったが、その線が消えたために組替えも中止になったのでしょうか。



個人的には、宙組東京宝塚劇場公演については、全日程中止で払い戻しのうえで、無観客公演を実施し、宙組トップや退団者のメッセージを配信するという方法があれば、見てみたかったな、という思いはあります。


それならば、会チケだからとか、せっかっく当たったのにとかいう雑念なく、見る見ないを個人の判断で決められます。


マスコミがその映像を見て、どのような記事を書くのかはわかりませんが、今だって宝塚の舞台映像すら見たことが無いまま記事を書いている記者も多いのだろうと思います。


私はパワハラもいじめも、あってはならないと思っていますが、劇団の事情についてさまざまに報道されていることは、このクオリティの新作舞台を年に何十本も世に出す裏で行われてきたことだということは頭の隅に置いておいていただかないと、視座が一方的になってしまうのではとも思います。



本当に個人的な願いは、ほとんどの公演が中止になった『カルト・ワイン』のスカステニュース用の記録映像を、後日スカステで特別放送したように、


あのジェンヌの生涯最後にそれでも立った『PAGAD(パガド)』『Sky Fantasy!』の初日舞台の映像を見てみたい、という想いもあります。


今日も、亡くなったジェンヌのことは、公式には「ジェンヌX」のまま。私は、あの日の舞台がどのようなものであったのかを見届けないと、どうにも追悼しきれないのです。