宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

アナスタシア感想①あの真風が”揺らぐ”時

※この感想はラストのネタバレは含みませんが、演出についてのネタバレがあります。

宝塚歌劇宙組公演 三井住友カード ミュージカル『アナスタシア』特別プロモーション映像(ロング)
♪She walks in(真風 涼帆)
♪The Neva Flows(芹香 斗亜)
♪Journey to the past(真風 涼帆・星風 まどか) 



生の舞台でなければわからないこと  


宙組公演『アナスタシア』 初日舞台映像

先日、久しぶりに宝塚大劇場で『アナスタシア』を観劇いたしました。


やっぱり生の舞台はライビュとは大違いですね。ライビュは大画面いっぱいに贔屓の顔が映る、というメリットもあるのですが、


生の舞台での、登場人物の動線、出入り、群舞のフォーメーションによってストーリを端的に表現する演出効果については、ライビュではほとんどわかりません。


ショーについては、ライビュではなおさら、今どこで誰が何をしているのか、正直脳で処理しきれません。ショーは生で見てこそですね。


(ブログで、ショーの感想をほとんど書いていないのはそのため)


ショー作家の、円環と水平と垂直のイメージの使い方に感心しました

失礼ながら、『アナスタシア』の演出が稲葉大地先生と聞いた時、稲葉先生、普段ショー専門だよね?と不思議だったのですが、


実際に観劇してみて、このアナスタシア伝説をもとにした作品を、真風演じるディミトリを主役に置き換えるという宝塚版の演出にあたって、


宝塚版でディミトリを主役にするための新曲「♪She walks in」の使い方や、


舞台の円環と垂直と水平のイメージの使い方でお話の本質を端的に表現する、ショー作家的演出効果に感心いたしました。


梅田芸術劇場版は、アナスタシアが主役です。


梅田芸術劇場版のポスターは、アナスタシアが一人、画面奥に向かって駆けてゆく構図で、


「サンクトペテルブルグ発パリ行き、記憶が繋ぐ壮大な旅が始まる」



記憶を無くした主人公アーニャが、自分の過去を取り戻し、愛する家族と自分の心の帰る場所を見つける旅路を描いた、大人から子供まで楽しめる愛と冒険に満ちた作品

このアナスタシア伝説を、真風演じるディミトリ主役にするには?


円環:広大なロシアで、巡る因果で出会う2人

冒頭、ロマノフ一家と貴族たちの踊る華麗なる大円舞曲に始まり、


ロマノフの女性皇族のティアラのような装飾の、円形の舞台装置がアナスタシアの寝室になったり、


そのセットがくるりと回って、ユスポフ宮殿(神々の土地で真風が演じた大貴族の屋敷)に住み着いているディミトリのアジトになったり。


第1幕では、その円形のイメージが、外の世界と隔絶し、孤立した皇帝の一家であるアナスタシアや、


おそらくペテルブルクの裏町から出たことが無さそうなディミトリの


広大なロシアで、実はほんの狭い世界で生きてきた2人の「閉ざされた世界」を象徴するようでした。



革命が無ければ決して交わることが無かった、ロシアの頂点にいたロマノフの皇女と、裏町の最下層の詐欺師の青年が、巡る因果で出会う不思議。(2人の恋の始まりも、輪舞でしたね)



垂直:昨日の人民の敵、今日の人民の英雄

社会主義国では、人民は3種類いる。


「同胞」か、「人民の英雄」か、「人民の敵」か。


革命とは、トランプゲームで大富豪と大貧民がポンとひっくりかえるように、「人民の英雄」と「人民の敵」が一夜にしてひっくり返る。


劇中、ディミトリの父は『無政府主義者』として逮捕され、強制労働で死に、ディミトリも孤児として辛酸をなめた、との言及があります。


無政府主義者といっても、ルイジ・ルキーニみたいな過激な人物もおりますが、


ディミトリは読み書きができて、ロシアの歴史の本を読んでアナスタシアに教えたり、詐欺師として立ち回れる頭の回転の良さがあり、


「父が健在だった子供のころ、王宮のお辞儀をしたことがある」と言っていたので、


たぶんディミトリの父はそれなりの家柄の子弟で、『ナロードニキ』だったのではないかと思うのですが、



当時のロシア社会は、農民を奴隷として、人権無視で悲惨な労働をさせることで成り立っていました。


農奴本人たちは疲弊し過ぎて抵抗運動すらおこせず、かえってある程度裕福な地主の息子達が、これはあんまりではないかと胸を痛め、社会を変えねば、帝政打倒!というナロードニキ活動をしていたんですね。


そしてディミトリの父は「皇帝の敵」として処分され(強制労働による死)、孤児となったディミトリは辛酸を舐める。正直、堅気ではない生き方をしている描写がある。



そして1917年、ロシア革命。皇帝一家は「人民の敵」として処刑される。



皮肉にも


記憶を無くしたアーニャ(アナスタシア)は橋の下で寝起きして、かつては家族と華やかにパレードしたネフスキー大通りを掃除する身となり、


ディミトリは、人民の為に戦い、皇帝に実質処刑された「人民の英雄」の息子となる。



ディミトリはユスポフ宮殿に勝手に住み着いて、裏町で「あの人のところに行ったら出国許可証がもらえる」と噂になるくらい、裏社会である程度の地位にいて、


警察からもお目こぼしされているっぽい。


ひょっとしたら、ディミトリは「人民の英雄」の息子という位置を利用しているのかもしれない。



そんな、革命で天地がひっくり返った2人が出会う


ディミトリは最初はアーニャを、記憶喪失の掃除婦さんとして、上から目線で見ているところがある。


が、アーニャがだんだんと記憶を取り戻し始め、過去を取り戻すためすっくと背を伸ばして歩き出すにつれ、


ディミトリの視線と立ち位置は変わってくる。


水平:サンクトペテルブルグ発パリ行き


北半球の地図では、サンクトペテルブルグ発パリへの列車は東から西へ、右から左へと向かうので、このポスターもパリへ向かう道中のシーンでしょう。


真っすぐに前を見つめるアナスタシア。


進行方向から、やや後ろを振り向こうとしているディミトリ。



アナスタシアは振り向かない。自身は何者かを知る旅を恐れない。


ディミトリは、どこを見つめているのだろう?


MYペテルブルグを離れた途端、彼の表情には、迷いが生まれている?


長くなってきたので、続きます。

ムラへGoTo「遠征」って言うけど何と戦っているのだろう?


一週間たって特に体調に問題なく過ごしておりますので打ち明けますが、


先日、宝塚大劇場へ「遠征」してまいりました。


一応、人との接触を少なくするため、朝5時台の始発を利用し、一人旅ゆえほとんど言葉を発することなく、大劇場と宝塚ホテル以外には移動しておりません。



ところで、宝塚ファンはよく「ムラへ遠征する」と表現しますが、


「ムラへ旅行に行く」でもいいですよね?




えん‐せい〔ヱン‐〕【遠征】 の解説

[名](スル)

遠方の敵を征伐しにいくこと。「十字軍の大遠征」


試合・登山・探検などで遠方へ出かけていくこと。「日本チームのアメリカ遠征」「ヒマラヤへ遠征する」

宝塚ファンは、何と戦っているのだろう?


観劇旅行に「遠征」という概念を持ち出したのは、たぶんアイドルオタク用語を取り入れた結果と思うのですが、



夜行バスの中ではうちわは隠しますね。うちわの色で、誰のファンかバレるので。ファン同士で結構バチバチすることが多くて…。

これ、アイドルファンのいわゆる同担拒否ですね・・・


宝塚ファンは基本、贔屓が同じ人を見つけると楽しいので会に入って応援したり、今は休止中ですが、みんなで入り出で贔屓をガード(愛でましょう)、というスタンスですよね?


贔屓は公共財というか。



アイドル界隈だと、贔屓が同じ人同士がバチバチするんですよ・・・ファン同士がライバルになって、競ってしまうらしくて・・・


アイドルファンにとっては、現場(コンサートやイベント会場)に行くとライバルだらけなわけで、


負けないぞ!という気概で「遠征」と呼んでいるのかもしれませんね。

GoToトラベル制度のおさらい

さて、いろいろ言われているGoToトラベル制度でございます。




例 : 旅行商品及び宿泊

おひとり様40,000円の1泊2日の宿泊付き旅行を申し込んだ場合、支援額は、旅行代金の2分の1相当額の20,000円となります。


そのうち7割の14,000円は旅行代金割引となり、旅行者の支払額は26,000円となります。残りの3割の6,000円が地域共通クーポンとして付与されます。

管理人の在住する地方から利用する場合、おおざっぱに言うと


旅行代理店が販売する、


地元駅から新神戸駅までの新幹線往復12,000円
プラス
宝塚ホテル宿泊18,000円


で通常30,000円相当のパック旅行が、


旅行代金が10,000円割引で20,000円になり、


さらに


・宝塚ホテルでの飲食・お土産などに使える5,000円相当の地域共通クーポン
プラス
・宝塚大劇場、手塚治虫記念館、宝塚ホテル3施設共通1,000円ご利用券
・温泉地おみやげ購入券2,000円分(これは宝塚大劇場では使えませんでした)


実質、普段の新幹線往復料金12,000円で、宝塚ホテルに泊まれて、8,000円相当の美味しいホテルディナーをいただいたり、お土産を買ったりできる・・・


名古屋のモーニング並みに太っ腹な制度でございました。



例えば菅内閣が取っているのは「コロナと経済のバランス」の追求だとしていますが、実際に行われている政策としては、厚労省は感染対策を行う一方で、経産省が主導した「Go To」キャンペーンは依然として続いています。


ですから、国全体の政策としては「自動車のアクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなもの」ということになります。そうすると、それは「ヒドい政策」だとか、「縦割り行政」そのものだとか、あるいは政権として「支離滅裂」だというような批判を浴びることになります。


けれども、コロナ禍の中の経済というのは、どこかにちょうどいいバランスの「落とし所」があって、自動車で言えばそこに停止してエンジンを切っていい場所があるのかというと、おそらくそれはないのだと思います。


事業者も金融機関も含めて、疲弊の限界に来ている地方経済を回すには、やはり「政府のカネを投入すると、消費者のカネが引き出されて何倍にもなって回る」という政策に「力を入れる」のは必要なのだと思います。社会に疲弊の色が濃く、それが自殺率の増加など危険な兆候も見せている中で、これはこれで必要なことです。


劇場まで在来線で数百円で行けるエリアにお住いの方だけでは無いのでねえ・・・、地方民にはとても有難かった制度ですし。


この問題に100%の正解は無いと思います。宝塚ホテルや阪急交通社も「Go To」キャンペーンで相当な恩恵を受けていると思いますし・・・


とにかく、気を付けて生活していきましょう!




宝塚歌劇より、劇場へご来場いただくお客様へのお願い

ダル・レーク先行画像!あれ?インドの話ではないの?

10か月ぶりの遠征! 身体がカーっと熱くなって恥ずかしくなった話


先日、久しぶりに宝塚大劇場へ遠征してまいりました。今年1月に『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』を観劇して以来ですから、10か月ぶり!


感想


宝塚って、


生徒さんも装置も衣装もキラキラして、


男役はカッコよくて、


娘役さんは可憐で、


いやーっ、生の舞台って、いいもんですね。



・・・人生で初めて宝塚を見た方の感想みたいですね。


やっぱり生の舞台は情報量が圧倒的ですわ。普段ライビュ&配信では、カメラが抜いたところだけを見ていればいい訳ですが、久しぶりのオペラグラスを手に自分で見る場所を決めるのが慣れなくて、


贔屓も見たいし、後方で小芝居している下級生も見たいし、群舞も見たいし、



目が2つでは足りません!


自分のライビュで見ただけでの体験は、都市部在住のブロガーの方が書かれる、生の舞台を複数回見たうえでの感想の、情報量とリアリティ溢れる描写には到底及ばないなあ、としみじみ実感しました。


それゆえ、自分の舞台感想(妄想)は、他人の記事や歌詞の引用だらけの、頭でっかちになりがちなんだよなあ・・・精進します。




※おまけの小ネタ


1月に遠征したころは、まだこのブログを始めていなかったんですよ。


その後ブログを始め、記事によっては数百人もの方にお楽しみいただけておりますようで、読者の皆様、本当にありがとうございます。



でもね、正直、日本の人口は1億人以上いるわけで、自分のブログなんて本当にちっぽけな存在だよね、と思って、気楽に書いてきたわけですが。


久しぶりに大劇場に入場して、開演直前、後ろを振り返ると、ほぼ満員のお客でほっ。



・・・ん・・・


ブログの読者が500人、関西圏に250人として、その方はほぼ宝塚ファンで、大劇場に各公演1回は足を運んでいるような方でしょう。


この満員のお客の中に、私のブログを知っている方が1人でもいる確率と、1人もいない確率と、どっちが多いだろう・・・



あ、贔屓出てきた!


きゃあああ 恥ずかしい💦





Strumming my pain with his fingers 

Singing my life with his words


・・・Killing Me Softly with His Song


I felt all flushed with fever, embarassed by the crowd

I felt he'd found my letters and read each one out loud

I prayed that he would finish, but he just kept right on


意訳


彼は私の胸の痛みをかき鳴らして 私の人生を歌い当てた。


・・・優しく歌って 優しく殺して


身体がカーっと熱くなって、お客がたくさんいて恥ずかしかった。


お茶会で贔屓が私の手紙を見つけて、一つ一つ声に出して読み上げたみたいな感じ。


お願い、もうやめて、って思ったんだけど、贔屓は読み続けた。


くらいの恥ずかしさでした💦


こんな、贔屓に惚れたの、ソ連がどーしたの、紅子ごっこだ のブログ、本当に見られている・・・



皆様、私、これまでふざけすぎました。これからは真面目ブロガーになります!

華優希を称える「芝居の上手さ」嘘の無い演技って何だろう


「演技が上手い」って何だろう

宝塚ファンは日々、ジェンヌの歌が、ダンスが、と批評し続けているわけですが、


歌やダンスは、音程やら、リズム感やら、動きのキレ、体幹のブレなさetc.


ある程度客観的なものさしがあります。



ところで、「演技がうまい」って何でしょうね。


セリフの口跡、滑舌は大事。


でも、セリフをすらすらぺらぺら、澱みなく流暢に語れば、客の心に沁みるのか?


そういう演技って、わたしは時々「よくわかりすぎて、かえってよくわからない」と思うことがあります。

メソッド演技とは

じつは「週刊少年ジャンプ」で「アクタージュ」という「ガラスの仮面」の令和版のような漫画が連載されておりました。(諸事情で連載は途中打ち切り💦)


この漫画は、演劇界を舞台に、「演技が上手い」とは何か?をテーマにしていました。


キーワードは「メソッド演技」

メソッド演技

その役柄を演じるために、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法

私は芝居の型を「アポロ型」「デュアニソス型」と分けております。現国のテストで例えると

アポロ型:本文を客観的に分析して答える優等生

デュアニソス型:自分ならどう思う?で答えるから点数が安定しない生徒


宝塚でも、外部の映像の世界で活躍される役者さんでも、「演技が上手い」役者のほとんどはアポロ型だと思います。知的な計算で、役を構築していく入り方。


客のほうも、「ああ、これはお芝居としてやっている」と安心してエンタメとして消費できる。


デュアニソス型は、結構レアだと思います。宝塚でいえば・・・もう花總まりさん、明日海りおさんクラスの人。


当然緻密な計算もあるのでしょうが、役に入り込む、というか、役の感情と、役者自身の感情との継ぎ目が無くなって、


客も役者の感情に引きずりこまれて「え、この人、マジ?」と怖くなってしまうような人。


普通の人には、メソッド演技はある程度は訓練できても、「上手いを超えて怖い」レベルに行くには、それは神に与えられた天与の才だと思います。


演じることで言える本音

自分以外の誰かになる 恐ろしい芸術だわ。

そんな異能に長けた人間を育てて、彼女の人生に責任がとれるの?

       アクタージュ 第1巻より

お芝居をする、というと、「あなた、他人になりすます、ウソをつく練習をするの?」などという人がいますが💦


私は華優希さんの、ウソのない演技が好きでした。


彼女の当たり役、はまり役と言えば『ポーの一族』のメリーベル、『はいからさんが通る』の紅緒を挙げる方は多いと思います。


何がすごいって、この2役、原作マンガを読んだ方を「マンガそのまんま!」と思わせるのみならず、


原作マンガを読んだこともない方にも「これははまり役だ!このキャラはきっとこうだった!」と思わせたことですよ。


人の世から切り離されて、永遠に大人になれず、13歳のまま生きるメリーベルが、アランをポーの一族に引き入れようとするエドガーに、
「この人、まだ人間の世界に未練があるわ!」


妖精と戯れた黄金の子供時代の記憶に囚われそうになりながら、老境に至ってその幸福な記憶を、美しいおとぎ話として紡ぐことで、生きる糧に昇華した老女の矜持


少尉の葬式で、母の形見の白い喪服に身を包み、遺産相続に口を突っ込む親戚陣に
「 吉次さんはここにいる誰よりも、お焼香をしていただくにふさわしい方です」


リアル人生で、リアルに耳にしたり、口にすることはまず無さそうなセリフに、華さんは聞くものにヒリヒリとした感情を想起させ、


ああ、このキャラは生きてそこにいる、と思わせるリアリティーを与えることができる、稀有な表現者であったと思います。


彼女は、他者を依り代とすることで言える本音、ウソでしか言えない真実、といったものがある、


そしてそれを演じることが、演じる者自身の救いとなることがある、ということを教えてくれました。



柚香とは2017年の外部劇場公演「はいからさん―」でコンビとして共演。おてんばなヒロイン・花村紅緒は華の当たり役となった。


今年3月に「はいからさん―」の異例の大劇場再演で本拠地お披露目となるはずだったが、新型コロナウイルスの影響で延期・休演が続き「公演休止期間がとても長かったので、心が揺らぎ、(退団が)寂しいという気持ちも生まれました」。


それだけに、入団から6年半で一番思い出深い作品も同作を挙げ「この(コロナ禍の)期間を一緒に乗り越えてくれたよう、3年前の初演で出会わせていただいてから、ずっと紅緒さんに励まされてきた。一生忘れられない役になると思います」と、しみじみと話した。

いやー私もねえ、紅さんが退団してさみしかったんだけど、紅子さんのキャラを模倣することでさみしさを紛らわせているというか、紅子キャラのおかげで言えることがあるというか・・・え、違う?