宝塚 ライビュ専科の地方民のブログ

宝塚を「好き」という気持ちを因数分解してみたい、という思いで綴っています

SNS「誹謗中傷」と「批評」の違いはどこに


宝塚歌劇団、SNS誹謗中傷への対応を表明



昨今、TwitterやInstagram等のSNSやインターネット上の掲示板等において、出演者やスタッフに対する誹謗中傷や、事実に基づかない悪意ある憶測を流布する行為などが多くみられており、例えば現在、以下のようなものを確認しております。


・特定の出演者やスタッフを名指しのうえ、事実ではない情報をもとに、非難、攻撃をすること。


・特定の出演者やスタッフの技量、成果物その他に対し、本人を傷付ける意図を持って、批評や個人的感想を超えた言葉で攻撃すること。


・特定の出演者の人事情報について、あたかも事実であるかのような表現を使い、事実ではない情報を拡散すること。


宝塚歌劇団といたしましては、お客様よりいただく様々なご意見や叱咤激励を有難く拝見し、より良い舞台をお届けするための励みとさせていただいておりますが、上記のように、特定の個人を攻撃するような行為によって、出演者やスタッフが万全な状態で公演に邁進できない事態になりかねない状況は大変遺憾であり、非常に危惧すべき状況であると考えております。


なお、今後上記行為を確認しました場合には、弁護士等と協議のうえ、しかるべき法的措置を検討させていただくとともに、発信者情報開示請求を実施するなどインターネット上の誹謗中傷等にも対応してまいります。


何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。   

管理人:うーん、難しい問題だなあ・・・


紅子:昔は「トイレの落書き」と言っていたんだけれど、今はSNSで、指先ひとつで、アマゾンの奥地にお住いの方にまで、瞬時に情報が広がるものねえ・・・


管理人:私も1年以上このブログ村にお邪魔していて、自分の日記みたいにフリーダムにランダムに書いた記事が、「何百人、記事によっては何千人もの方の目に触れる」ということに、感覚がマヒしかけていたところもあるのよねえ・・・


紅子:宝塚ブログ村で「ネアンデルタール人」に感謝したのは、あんたが史上初じゃない?あれ、さすがにタイトル詐欺だったんじゃね?



管理人:あれは、自分でもネタ記事と思って書いたんだけどさ💦


紅子「誹謗中傷」と「批評」の違いは何だろうね?


管理人:辞書によると


根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること。



事物の善悪・是非・美醜などを評価し論じること。


長所・短所などを指摘して価値を決めること。批判。

つまり、「根拠のない」ことで「他人を傷つける」こと自体が目的化しちゃったら、マズいな(下手すりゃ裁判沙汰)と思う。


もし宝塚界隈が100人の村だったら


誹謗中傷をする人は、簡単には行動を変えないということですが、たしかに、「誹謗中傷はいけません」と繰り返すだけでは、効果は薄いのかもしれません。でも、言葉によって、人々の意識や行動を変えることは、まったく不可能なのでしょうか。


ものの言い方によって、人の行動を変えるということはありますよね。トイレに「汚さないでください」と貼り紙をしても効果は薄いけれど、「いつもきれいに使ってくださってありがとうございます」と書いてあれば「汚さないようにしよう」と思う。


この場合、貼り紙によって「ここでは誰もがトイレをきれいに使っていますよ」という空気を作っているんですね。この「空気を作る」というのが大事なんです。

管理人:SNSもいろいろあるけどさ、私がお邪魔して遊ばせていただいているこの「ブログ村」って、空気がいいよね。


昔「世界がもし100人の村だったら」という本があったんだけど、

世界がもし100人の村だったら
世界がもし100人の村だったら
マガジンハウス


ブログ村には、住人(書き手)が「みんなで宝塚を楽しく語って、ヅカ界隈を盛り上げよう」という雰囲気があるよね。


人事分析が得意な方、初日から何度も通って、舞台の深化を報告してくれる方、お衣裳やヘアスタイル評論家、ネタ記事枠・・・


住人の1員として言わせてもらうと、たいていのブロガーさん、日々「何書こうかな」とリサーチしていて、ブログ村にランキングしている記事を、読み合いっこしているのよ。で、人様の記事からインスピレーションを得ることもあるのよ。


紅子:パクリでなくて?


管理人:オマージュと呼んでくれないかな。



まあ、ブログ村は小さいコミュニティで、書き手の個性も見えやすい規模だからね。これがTwitterとかになると、参加者の規模が段違いで、書き手、読み手の顔が見えにくいから、炎上しやすいのかも。


誉めそやしとコテンパンの間

管理人:私、このブログ村では、とくに演出家の先生には、結構批判的な、キツイことも言ってるほうなのね。


個人的に、文化がより面白いものになるためには、「批評」はあってしかるべき、と思っていてさ。


なんでもかんでも、「劇団や贔屓を誉めそやす言動しか認めない!批判は認めん!」


さもなくば


相手を完膚なきまでに叩きのめして、「どうだ、まいったか!」


ばっかりでは、息苦しいよねえ。


先ほどの記事からまた引用するけれど、

相手を尊重しながら批判するなんて矛盾するようですが、研究者たちの集まる学会では、それがスマートに行われています。


研究成果の発表の後、質疑応答が行われます。質問者は「この研究発表は水準が低い」と思っても、発表者に「あなたはバカですね」「ゴミみたいな研究ですね」などと言うことはありません。それでは人格攻撃になります。質問者はあくまで、内容の妥当性について論じます。


「私はこの問題については詳しくないので、的外れでしたら申し訳ありません。先ほど『……』とおっしゃった部分は、先行研究との間に矛盾があるのではないかと思いますが、いかがでしょうか」

日々、反省しながら、試行錯誤ですね。


紅子:ところでさ、話変わるけど、私ここにいていいの?


管理人:はっ!


紅子:マツタケ・・・




管理人:「紅子」、美味しいよねー


【送料無料】レビュー高評価!アラスカ産特選天然紅子500g【楽ギフ_包装】 02P03Dec16

価格:5,184円
(2021/3/1 21:58時点)
感想(23件)

紅子:わたしゃ魚卵かい!

ポー大千秋楽 千葉雄大くんの成長に涙 続編再演あるよね



梅田劇術劇場版「ポーの一族」無事、大千秋楽、おめでとうございます。



ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』舞台映像【30秒ver.】



ミュージカル・ゴシック『ポーの一族』<2月28日大千秋楽>日本ライブ配信&映画館/台灣 現場直播/香港及台灣 網上直播


明日海りおさん、終演後の挨拶で、出演者35名、スタッフを含めると100人もの大所帯の全国3か所での長期公演の座長として、


「PCR検査の検体を提出するたびに、明日皆と会えるだろうか、と祈る日々でした」と心情を吐露されていらっしゃいました。


管理人は、もう当たり前のように毎日出勤し、子供は通学し、買い物に行ったり、映画館に行ったりと、コロナ禍以前とあまり変わらない日々を送るようになって、正直緊張感が緩んでいるところもあったのですが、


明日海さんの言葉にハッとしました。本当に、全日程休演せず、休演者も出さずに大千秋楽を迎えることが、全く”当たり前”ではないのですね。


そういえば最近、手指消毒をサボり気味でした。反省して、明日から気を引き締め直して生活します。


千葉雄大くんの成長に涙



この公演は、開幕間もない1月16日の配信を視聴して、その時、千葉君に結構辛口な感想を書いたのですが(💦)、


それから1か月半、千葉君の成長ぶりに目を見張りました。


初日の頃は、この世ならぬポーの一族を演じる元フェアリー達と、元から世俗の人間達との対比が強く印象に残りましたが、


上演を重ねた大千秋楽では、


綺咲愛里さんのメリーベルが、あどけない童女から、少女時代の聖母マリア的な聖性、母性を帯びてきて、


千葉雄大くんのアランも、感受性が鋭敏で、俗世に居場所が無い少年の孤独感を増し、


エドガーが、最初はアランをメリーベルに”新たな血”を与えるための”獲物”として見ていたのが、


アランの孤独と共鳴し、徐々に魂が惹かれ合っていく心理がよりわかりやすくなりました。


いやー、本当に、「ポーの一族」って、子供のころ読んだ漫画版、宝塚版での上演、そして梅田劇術劇場版と、見るたびに新たな発見がありますね。


手塚治虫の傑作にも比類する作品だと思います。


再演・・・ありそうだなあ


ところで・・・挨拶で明日海さんが


「エドガーとアラン、世界のどこかの街角にいるかもしれませんよ」とか


「また、いつかどこかでお会いしましょう。その時まで皆様、お元気で生きていてください」
(うろ覚え)


というニュアンスっぽいことをおっしゃっていたような・・・まあ、原作の物語は現在進行形で続いていて、


エドガーとアラン以外のキャストは、総とっかえしても問題ないわけで。


続編の舞台化とか、再演とか・・・ありそうだなあ。






『ダル・レークの恋』配信感想 サリーを着た歌舞伎

※思いっきりネタバレ感想です。


1959年に春日野八千代演出・主演により初演された「ダル・レークの恋」


管理人は1997年の麻路さき主演バージョンは映像で、2007年に瀬奈じゅん主演の全国ツアー公演版は、香川県民ホールで観劇したことがあるのですが、


毎回、前半1時間の印象は鮮明なのだけれど、なぜかペペルが出てきてからの展開は忘れているので、新鮮な気持ちで鑑賞できました(笑)


ミニアチュール(細密画)のような心理劇

ほんと、月城さんも、海乃さんも、インドのミニアチュールのように美しい。


ルネサンス以降のこってりした油絵の西洋絵画も好きですが、個人的には、中世ヨーロッパの写本やインドの細密画(ミニアチュール)の、小さな画面(A4~A6くらい)に精緻に書き込まれた、清廉で典雅な女性像が大好きでして。


インドの細密画を訪ねて〈上〉―細密画が描かれた王国の宮殿・遺跡と美術館探訪
インドの細密画を訪ねて〈上〉―細密画が描かれた王国の宮殿・遺跡と美術館探訪
新風舎
インドの細密画を訪ねて〈下〉―細密画が描かれた王国と細密画の発展の歴史
インドの細密画を訪ねて〈下〉―細密画が描かれた王国と細密画の発展の歴史
新風舎


で、このお話のあらすじはというと、マハ・ラジア一族の娘と、素性のわからない平民あがりの騎兵大尉の男の、避暑地でのひと夏の恋。


でも、女には、デリーの王宮での女官長という輝かしい未来が約束されている。身分違いの恋はお決まりの展開で、


心ならず?の「愛想つかし」からの、「○○と見せかけて、実は!」の展開。


・・・サリーを着た歌舞伎だな。



シネマ歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)予告編



縁切り物 ここに注目


この演目は『伊勢音頭』や『御所五郎蔵』『縮屋新助』と並ぶ「縁切り物」の代表作です。


「縁切り物」の展開にはおおよそ定型があり、


まずは「出会い(見染め)」

そして「愛想尽かし(縁切り)」、

最後はお決まりの「仕返し(殺し)」となります。


多くの場合、愛想尽かしは決して女の本心ではなく、事情が絡んで板挟みとなり止むに止まれず、表向き繕っていずれ本心を明かそうとしているところ、男の方は真に受けて逆上し殺しに走り、心がすれ違ったまま惨劇を迎える、こういったところが概ねのお決まりです。

「来るんですか、来ないんですか」

1997年版の映像を見た時は、まだ子供だったので、ダル湖のハウスボートでのシーンの意味はよくわからなかったのですが(笑)大人になって再見すると、


カマラ:「人を殺したことはありますか」
ラッチマン:「女の魂を奪ったことはあります」


・・・心理的な「殺し」、まるで心中に向かう男女のようなセリフだなあ・・・



「ダル・レークの恋」は、サリーを着た歌舞伎、というか、けっこう前近代な心理劇なんですよね。


なぜラッチマンが、身分を偽っていたのか。


国際ロマンス詐欺犯を疑われた際、とっさに「ええ、私がその極悪人です」と名乗りだすのか。


劇中では明確な説明が無い。


すごいよな。現代人の感覚では、「なぜ偽るのか」の心理が一番大切なはずなのに。このへんが歌舞伎っぽい。

多分 “人間の捉え方”が昔と今では違っているんですよね。


現代人にとって人間は「Aという精神が、ある事象によってBに変化し、それが次の事象を生んでいく」というふうに精神は変化しながらも続いていくと捉えています。


でも前近代の人たちにとっては、一人の人間が「ある時は非常にいい人間だけど、ある時はどうしようもない業を背負っている」こともありうると考えていたのかもしれません。


「人間は一個の精神をずっと生きているわけではなく、複数の精神の集合体として存在する」と捉えていたのでしょう。



あまり理詰めで考えると、かえって捉えどころのないラッチマンの心理の綾を、月城さんは理屈ではなく、


その瞬間の心の動きを、まるで微分するように細やかに魅せていくのが素敵でした。


『Hotel Svizra House』ポスターの1つだけ惜しい点



あーっ、


斜めに交錯する配置、


交錯しない視線、


ロングコートの真風氏も、芹香さんも、潤花ちゃんもカッコイイ!


こんな真風氏が見たかった!



1点だけ、惜しい点がある!


真風氏の👉”手”👈にタイトルが被ってる!👊


真風氏の魅力は、開襟の鎖骨からのぞくエロチシズムと、


顔に負けない豊かな情感の ”手” よ!


梅芸のHPに、まだ先行画像(シガレットとケースを持っているバージョン)が残っているわ!




先日、竹久夢二について調べていて見つけた文章なんですけれど、


更に歌麿の絵からは、割れた裾からのぞく素足のエロチシズムを夢二はあの絵の中に取り込んでいます。


歌麿の描く女は、顔よりも手で表情を表しています。繊細な手の動き・・・。そしてあの女性の手も、顔に負けない豊かな情感を表しているのです。

タバコじゃないけど、「ビードロ」を吹いている有名な歌麿の絵とか、


ジグソーパズル プチ 204スモールピース ビードロを吹く女 (10cm×14.7cm、対応パネル:プチ専用)
ジグソーパズル プチ 204スモールピース ビードロを吹く女 (10cm×14.7cm、対応パネル:プチ専用)
やのまん(Yanoman)
おもちゃ

物思いにふけっている女の「手」

のれん 喜多川歌麿_物思恋 91419
のれん 喜多川歌麿_物思恋 91419
コスモ
Home

※ちなみにこの女性、眉が無いので「既婚者」ですね。人妻が恋の物思いにふけっておりますね。これ以上はゲスの極み(元)乙女モードになりそうなので自粛



この「手」!


歌麿の描く美人って、まあ、いわゆる「歌麿美人」というか、「CITY HUNTER」に出てくる「北条美人」というか、


みーんな面長の瓜実顔。


髪型、着物の柄、ポージング、


そして情感豊かな「手」の表情で語りかけてくる。


真風氏の「手」を見せんかーい!

『夢千鳥』代表作「黒船屋」のモデルは誰?

『夢千鳥』

作・演出/栗田 優香   


映画監督の白澤優二郎は、女優の赤羽礼奈と事実上の婚姻関係にありながらも、新作を撮る度に主演女優と浮名を流し世間を騒がせていた。


そんな白澤が挑む次回作は、大正浪漫を代表する画家・竹久夢二の人生を描いた物語。


幼い頃から運命の女を探し続けた夢二もまた、艶聞の絶えない男であった。勝ち気な美貌の年上妻・他万喜と縁を切れないまま、純真な女学生・彦乃への想いを募らせ──


撮影が進むにつれ、白澤は自分と夢二の境界が曖昧になるほどに彼の人生に飲み込まれていく。


夢二の人生を描いた先に、白澤が見つけた愛とは…?


甘く儚い抒情画の世界観に骨太な愛憎劇を織り交ぜ、詩情豊かな舞台をお届け致します。この作品は、演出家・栗田優香の宝塚バウホールデビュー作となります。   



主な配役
白澤 優二郎/竹久 夢二 和希 そら


・・・うん、それはヅカファンならわかっている。


勝ち気な美貌の年上妻・他万喜は誰?
純真な女学生・彦乃は?


また、花バウのように、ヒロインぼかし発動?マスコミ報道で発表?


夢二さんは今でも人気の画家ですが、「日本美術史の大家」というよりは、歌麿の浮世絵のような江戸情緒と、世界的な流行であったアールヌーヴォー風味の混ざり合った、


大正時代という往きし世の面影、匂いが魅力だと思います。夢二デザインの千代紙とか浴衣とか、色使いが北欧デザインみたいで、なんだか美味しそう。


センチメンタルな画風の美人画などを描き、大正ロマンを代表する画家・詩人として知られる竹久夢二。その展覧会「夢二デザイン1910-1930  ー千代紙から、銀座千疋屋の図案までー」が文京区にある竹久夢二美術館で開催されている。会期は6月6日(日)まで。




甘く儚い抒情画の世界観に骨太な愛憎劇

あらすじから察するに、この映画の世界観に近いお話かな?



駿河太郎が画家・竹久夢二を熱演!映画『夢二~愛のとばしり』予告編


あらすじ

大正時代。画家の竹久夢二(駿河太郎)は絵画の店を経営しつつ、自身の美人画のモデルとなった妻のたまき(黒谷友香)と息子と生活していた。夢二は、現実的な日常と芸術家としての自分との間で葛藤を抱えていた。ある日、彦乃(小宮有紗)と出会い、夢中になっていく


まあ、なかなかの修羅場が繰り広げられておりますね・・・



そんな時代に生まれた、夢二の代表作『黒船屋』




モデルは


勝ち気な美貌の年上妻・他万喜とも、
純真な女学生・彦乃とも


絵てぬぐい 黒船屋(くろふねや)絵画 インテリア 壁掛け アート ポスター フック 海 ピカソ 額縁
絵てぬぐい 黒船屋(くろふねや)絵画 インテリア 壁掛け アート ポスター フック 海 ピカソ 額縁
日本初の風景専門店あゆわら(R)
Home

『黒船屋』を描いたとき、夢二の前でポーズをとったのは佐々木かねよ。お葉と呼ばれた16歳の娘でした。しかし夢二はお葉の向こうに、明かに別の女性の姿を見ていたのです。その女性とは・・・。夢二が死ぬまではずすことのなかった指輪に、名前を刻んでいた人です。【しの】